バリアフリーの徒然

身内に怪我人が出て初めて意識するバリアフリー。東京はまだまだ障害者には生活しづらい町だ。

 

 

人権保護の観点で言うと、誰もが健常者と同様に不自由なく過ごせる環境を整備するのが社会の責務だという。

 

そういう世の中が達成されるといいなとは思うし、そういう考え方が悪いとも思わないんだけど、まだスッと得心がいくところまで至らない。

根は施す側と施される側という図式から解放されない点と、施す側の立場として「ある程度までは笑顔で対応できるけど、何をどこまでやればいいのか。キリがない」という徒労感にあるような気がする。

 

 

子どもお年寄り障害者エトセトラ。いわゆる社会的弱者と呼ばれる人の範囲は、広がることはあっても狭くなることがない。

環境を整えろというニーズは増える一方で、社会的弱者ではない人(健常な政治家や公務員は最後までこの枠に収まるんだろう)は増えないし、社会保険料しかり負担は増すばかり。

 

理想は掲げなければいけないとは思うけど、向かっている先は「みんながまあまあ不幸」な世の中に思える。

じゃあどうするかと言うと、税や社会保険料の徴収の見直しと、税の使途の適正化くらいしか思いつかない。

 

おもてなしやおもいやりによって外面を糊塗する現状を見ると、優しい世界は永遠に訪れないんだろうなと思う。

 

元気に暮らしたいものです。